第2回
何回かの転職の根底に通じていること


とても柔かい印象を醸し出しているライフプランナーの深川氏。現在43歳になる。
しかし、ライフプランナーとは、どのようにしてその職に就くのだろうか?
「ハハハ。ライフプランナーなんて肩書きは、特に資格が必要なわけではありませんし、ましてや試験があるわけでもない。自分でそう名のってしまうだけです。
一番分かりやすい私の肩書きは、外資系生命保険会社の代理店でしょう。そう、生命保険を売る人です。でも、実際は、法人の会社の経営相談もやっています。今は6社と契約しています。その他に、金融関係の取材を受けたり、原稿を書いたりもします。お金に関することなら何でもご相談ください! という感じでしょうか」。

「私は、大学卒業後、都市銀行に就職しました。高校時代からコンピュータに興味があって、これからの時代の中心はコンピュータだろう。銀行のオンラインシステムがコンピュータ業界の最先端をいくだろうから、そこでプログラミングの仕事をしたいと考えたわけです。決して、安定しているとか、金融・経済に興味があって銀行に入行したわけではないんです。その辺りから「おまえはすこし変わっている」と言われますがね。
それから、銀行には7年在籍しました。結構いろいろな仕事をしました。結局プログラミングに関わる立場にはなりませんでしたが、それなりに充実はしていましたね。
銀行員って、時間的にもかなりハードな仕事なんです。朝8時前には出勤して、帰るのはいつも10時とか11時。当時はまだ土曜日も半日だけですが営業していました。だから自分の時間は、土曜日の夜だけ。日曜日は1週間の疲れから、目がさめると夕方…なんてことがしょっちゅうでしたから。
仕事には、真面目に取り組みましたので、それなりの成績もあがって、当時の上司から、“君はいずれは支店長までにはなれるだろう”とも言ってもらいました」。

深川氏が勤務していた銀行は、当時で全国に140〜150店舗だったという。全国規模で考えれば何万人という行員のなかでトップクラスに入れるということだ。

「でも、私はそれには魅力を感じなかった。だって、歯車のひとつであることには変わらないのですから。確かに所属している場所も大きく、その中の要職に就くわけですから、世間的に見ればいいことなのかもしれませんが、それは歯車の大きさが違うだけで、自分の考えですべて判断できることとは違いますからね。
そんな状況のなかで、もう少し人間らしい生活をしたいと思って、銀行を辞めました。
次に不動産会社に就職したんです。
この不動産会社は、銀行での経験があって入社しました。バブル以前でしたが、資産が100億もあるような会社で、入社した翌年に、子会社が設立されて、その会社の社長を務めたんです。資産が大きかったので、マンションを建てたり、飲食店を経営したり、かなり多角経営をしていましたね。
私も、高校時代にすでにホストのアルバイトをしたり、皿洗いのアルバイトで入ったステーキハウスでいつのまにかマネージャー的な仕事をした経験もあって、サービス接客業にも興味があったので、この会社もおもしろかったですよ。
もともと、この不動産会社には相続対策の要員として入社したので、その仕事が完了した時に退社しました。やっぱり、オーナーさんに従っていくことに、自分の考えとの矛盾を感じてしまったんですね」。

「そこで、次に何の仕事をしようかと考えたのですが、友人たちは、せっかく銀行での経験があるのだから、その経験を活かせる職種がいいよと言われていたんです。
それで、知人を介して国内生命保険会社に入りました。
この時、何故、生保に決めたかというと、生保会社の営業所って所長になればある程度、“自分の城”というか、自分の思うような運営が出来るといわれたんです。
この言葉は、魅力がありましたね。それで生命保険会社に入社したのですが、これは入ってみたら、見ると聞くとは大違い!! という状況でした」。


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