第3回
黒澤明監督の“天国と地獄”に参加できたこと。
この経験はオレの誇りだよ


映像の照明一筋に40年、仕事をしてきた牛来邦彦氏。高校卒業後、18歳で東映撮影所に就職した。
「東映では、まず照明準備班に配属されるんだ。現場に出るなんてまだまだ。撮影のための照明機材の準備がオレ達の仕事。ただ準備するだけだけど、なんたって照明のことなんか何も知らないわけだから、機材ひとつにも興味があるわけ。毎日が新鮮で、楽しかったよ。ホントはね、高校の冬休みに既に東映の照明部でアルバイトをしたんだ。だから、ちょっとは勝手が分かっていたから、なおさら動きやすくて、仕事に興味が持てたんだと思うよ。照明準備班で1年間、仕事をした」。

「それから、今度は東宝に移ったんだ。いつまでも準備班にいても、しょーがないだろう…って、誘ってくれた人がいて。
当時の東宝の勢いは凄かった。喜劇映画・駅前シリーズや社長シリーズなんて言うヒット作がガンガンあって、仕事をする場としては魅力的だったなぁ。
東宝では照明準備班ではなく、照明班に入ったわけだから、いきなりちゃんと撮影現場に行ったよ。
最初の現場は今の松本幸四郎主演の“忠臣蔵”。松の廊下のあのシーンの撮影だった。現場に行くって言ったって、照明だけで7人も8人もいて、まだまだ下っ端だから、天井に上がって、上からの明かりを照明チーフの指示通りに当てるだけ。
オレが最初に明かりを当てたのは浅野内匠頭役の加山雄三さんだった。そう、彼の若大将シリーズが始まる前だったから、かれもまだ若手だった。天井から当ててるだけで結構、ドキドキして緊張したな。
一番印象に残っている仕事は、黒澤明監督の“天国と地獄”だな。あの映画の撮影は確か、1年と4ヶ月くらいかけて行われたと思ったけど、そのうちの8ヶ月くらいは、参加した。昭和37、38年頃だからまだこの仕事に入って2、3年の頃だった。
黒澤組には独特の緊張感があった。黒澤監督はとにかく自分が納得するまでやる人だから、時間もかかったし、現場がいつもピリピリしてるんだ。
あの現場に参加できたことは、本当にオレの財産だよね。何がどうって、上手く説明できないけど、すべてが勉強だったんだろうな」

「最初に照明のチーフとして仕事をしたのは39歳の時。いや、このときは緊張したね。
テレビドラマの“眠狂四郎”。当時はTVドラマも撮影所で作っていたんだ。クランクインの前日なんか、さすがに眠れなかった。
照明のチーフって言うのは、照明プランのすべてを任される。で、こんな風な照明の当て方はどうだろうと監督にプレゼンして、現場で見せながら打ち合わせる。だから、照明が決まらないと撮影が始まらない。役者さんも他のスタッフ達もみんな、照明が決まるのを待たなければならないんだよ。
つまり、撮影が順調に進むかどうかは照明が握っていると言っても言い過ぎじゃないんだ。それだけに、責任が大きいからね、照明チーフってのは」。

「でもね、責任が大きいってことは、それだけやりがいがあるってことだろ。ホント、照明の当て方ひとつでセットの雰囲気が全然変わってくるしね。
先輩に言われた言葉だけど、今も最優先に考えること、それは“女優さんはきれいに見えるようにしろ!”その言葉は、当たり前のことだけど大切なんだ。“とにかく女優さんはきれいに当てろ!”だってそうだろ、映画だって、ドラマだって芸術的な照明を見にきている人なんていないんだから、みんなきれいな女優さんを見にきているんだからね」。


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