第2回
真っ暗な闇の中から街が浮かび上がってきた


「ホントはね、オレは中学卒業したらすぐに照明屋になりたかったんだよ。あのころはまだまだ、中卒で就職する人間も多かったしね。とにかく照明屋になりたかったんだよ。
あれは、未だにその情景がはっきりと記憶に残っているけど、ある日、映画の夜間ロケを見たんだ、中学の頃。中学の何年生だかなんて、もう40年以上前の話だから覚えちゃいないけど、その光景ははっきりと覚えてるよ。いやー、凄かったなあ…」。

「現在でもあるけれど、練馬区の大泉に東映の撮影所があるんだよ。当時、オレはその近所に住んでいたんだ。それでその“夜間ロケ”を見ちゃったんだなあ…。
その頃は夜は暗いものだった。今みたいに街灯も多くなかったし、ネオンの明るい看板なんて無かったから、夜の町は本当に暗かった。
でね、夜間ロケのセッティングが始まって、ひとつ、またひとつって照明が点いていくと、真っ暗だった世界から建物や木や道路がガンガン浮かび上がってくるんだよ。
当時の照明って言えば、ばかでかいライトで、それが何灯も用意されていて、それがひとつづつ点灯されていく。物凄い明るさで。その迫力といったら、今でも言葉でなんか言い表わせないくらいのものを感じたなぁ。
最初に見た夜間ロケは日活の“月夜の傘”っていう田中絹代さんと伊藤雄之助さんが出演した作品だった。ロケの開始から最後までずーっと見てたよ。スタッフの人に映画のタイトルを聞いて、劇場で公開されてからちゃんと見に行ったもの。
それで、ありましたよ、オレがずっと見てたロケのシーンも」。

「ああやって作ったものを、こんなにも沢山の人たちが映画館で見てくれるんだな、って思った。それでますますオレは照明の仕事をするんだ!!って」

「あの夜間ロケとの出会いがオレの一生を決めたといってもいいくらいのもんだよ。中学時代に照明屋になりたいと思って、18歳で本当に照明屋になって。他の仕事に就きたいと思ったことなんて1回もないし、転職したいなんて思ったこともない。照明一筋だね」。

「オレはこの仕事をやって本当に良かったと心底思っている。とにかくこの仕事が好きだし、現場に立てることが嬉しいしね。
確かに仕事場では、オレが頑張ってきたから、40年も続けていられるんだと思っている。
だけど、オレが頑張って来られたのは、家族のお蔭だよなぁって最近実感してるんだ。
映画でも、TVの取材でも朝は早いし、夜は遅い。難事に終わるのかなんて、予定が立たないんだから。もちろん、日曜、祭日関係ナシ。生活ペースなんてメチャクチャだろ。当然オレ自身の生活の時間帯だってひどいモンだった。でもオレは仕事が楽しい訳だから、そんなことはなんでもない。
でもそれに付き合ってくれた家族は大変だったと思うよ。本当に感謝しているよ。よくやってくれてると思う。改めて考えると頭が下がるね。ハハッ、そんな風に思ってるのなら家族にせめて言葉で言えばいいのに、オレ達の歳だと照れくさくって言えないんだよね、これが」。

中学生のときに受けた感動が、その後の人生を大きく支配した。そして40年間もその感動が薄れることなく、現在の仕事のエネルギーの源になっている。こんな純粋な気持ちを持ち続けられること、それが既にひとつの才能であるように思う。 その“一本気”なパワーは、うらやましくもあり、その反面、ご家族は大変なご苦労があったことは想像ができる。でも、牛来氏の人間臭さが感じられてなおさら“本当に自分で納得した人生を過ごされているんだなあ”と感じた。


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