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第2幕 「ディーラーの経験が大きかったですね」
高校生の時に作ったマジックのサークル、「飛鳥一派」。ちょっといかめしい名前のこのサークルの活動は堅いものだった。
「一番年長だった方が、仕事を取ってくるんです。横浜三越での手品グッズの実演販売のディーラーとか。手品グッズの実演をしている人をディーラーと言うのですが、高校生の僕が蝶ネクタイなんかして、実演販売するんですよ。東京駅大丸、新宿京王、銀座三越なんか何ヶ所かでやりました。
子供たちから見れば“自分達に年に近いおにいちゃん”が楽しいことを見せてくれる。という感じでしたでしょうし、大人の方から見ると“子供が蝶ネクタイなんかして頑張って売ってるゾ”という風な印象だったんでしょうね。結構、売れたんですよ」。
「日本人は、手品を見るとそのタネがどうなっているのか知りたくなるタイプの方が多いみたいですね。欧米人は見て楽しむことが大切で、タネ明しなんて絶対にして欲しくないというタイプの方がほとんどです。タネを知りたがるのは、日本人とドイツ人。国民性の違いなんでしょうかね。だから日本は、手品グッズって意外に売れるんですよ」。
「僕がディーラーに立つと結構売れたものですから、そのうち蒲田にある王様のアイデアで、手品グッズのコーナーを任されたのです。仕入れる商品のセレクトからやりました。まだ、高校生ですから終日、店に立って実演することは出来ないので、大学生とか自分より年上の方をアルバイトで使う状態でしたね。結構売れましたから、収入にもなったのですが、そのお金はみんな手品の道具に消えていきました」。
この頃からダーク広和の生活の中心はマジックになっている。趣味として楽しむマジックから、責任が伴う仕事としてのマジック。どんなに好きなものや分野でも責任が発生し、義務となるとしんどくなる場合が多い。好きな分野だけにつらくなる。
しかし、彼は実に楽しそうに当時を振り返る。
「そんなことをしていたら、松旭斎ひろこ先生が声をかけてくださったんです。夏休みだけ公演についてこないかって。もちろんアルバイト。でもこれは勉強になりましたね。カルチャーショックでしたね。古いしきたりの事なんか全然知らなかったですから。感謝しています。だって、僕はただの手品好きな少年だっただけで、サラリーマンの家庭に育って、芸人なんて人や舞台のこと、そういう世界に触れたことがなかったんですから。挨拶ひとつから始まって、ホントいろいろ教えていただきました」。
「手品師になろう、芸人になろうと思い始めていたので、このアルバイトを経験して舞台の楽しさを実感しましたね。これは自分に向いているなあって。もう手品師になるんだって決めていました。それ以外は頭にありませんでしたね」。
「高校を卒業する頃、師匠のダーク大和を紹介してもらいました。それで初めてダーク大和の舞台を見たんです。浅草の演芸場でした。これは衝撃でした。師匠の手品って、手品を見せるだけではなくて、喋りが入るんです。この喋りが楽しくって魅力ありましたねえ。
僕はあまり喋ることが得意ではなかったので、なおさら感動でしたね。それですぐに弟子入りを決心したんです」。
このダーク大和氏のと出会いが彼のマジシャンとしてだけでなく、生き方までを方向付けるものとなった。
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