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序 着物を着られる仕事がしたくて
残暑の日差しが特に厳しかった日。やよい姉さんは紺地に白の朝顔の柄の浴衣で、白い日傘を差して涼しげに現れた。
この街で芸者として仕事をして7年になる。
芸者さんというのは、置屋さんに所属する。毎日自分の置屋さんに顔を出し、お母さんからその当日に呼ばれている料亭を伝えられる。そして支度をして、6時頃料亭に入る。その料亭の帳場で行くべきお座敷を教えられ、そしてお座敷に向う。
お座敷では、お酒を注いだり、お客様の話し相手をすることが主な仕事。お座敷での踊りや三味線といった芸事を披露するのは“余興”という。予約のときから頼まれる場合もあるが、その場でリクエストされることも少なくない。しかし最近では余興を求めるお客様は減っていると言う。
「この街には芸者が60〜70人います。芸者歴15年前後のお姉さん方が中心に活躍されていますから、私なんかまだまだ。7年も経っているのに、未だにときどき置屋のお母さんからお小言をいただきますからね」。
やよい姉さんは、幼い頃から芸者に憧れていたわけでもないし、身近に花柳界の方がいたわけでもない。
たまたま20才の頃、歌舞伎に興味を持った。何回か観劇を繰り返しているうちに、「私も着物を着てできる仕事に就きたい」と思ったことが芸者への道を志した動機。運のいいことに、知り合いに料亭の女将さんがいて、その方に置屋のお母さんを紹介してもらい、そして芸者の世界へ入った。
「本当に軽い気持ちだったんです。とにかく着物を着てできる仕事がしたいという、そのことだけ。ですからそれまでは着物なんて浴衣くらいしか着なかったし、当然のことながら芸事なんて無縁でした」。
「芸者は最初、見習いさんとしてお座敷に出ます。着物も芸者のお姉さん方より、格下の小紋の着物で。着物を着ることができて嬉しいには嬉しかったのですが、最初は歩くことも満足にできなくって。つい、洋服の時と同じ歩き方をしてしまい、そうすると着物がグズグズに着崩れてくるんです。恥かしかったことしか覚えてないくらい。着崩れずにきれいに動けるようになるのに1年以上かかりましたね」
「見習いさんはね、お座敷でビールを運んだり、空き瓶をさげたり、お料理をお出ししたりなどのごく簡単な雑用をするだけ。今考えると何でもない事なのに、あの頃はそのタイミングや、お料理を置く位置さえわからなくって。分からないので何もできずにポーッとしていて、気の利かない子だとか随分叱られました。当然お客様とお話なんかできないからお座敷の隅から、みんなが楽しそうに話しているのを見ているだけで、つまらなかったですね。当時の日記を読み返してみると、始めたばっかりなのに、“3年経ったら辞めてやる!”なんて書いてあったりして。でも、もう7年続いているんですよね。ちょっと不思議かな」。
まるで空に浮かぶ雲のように、フワフワッとした雰囲気で大変だった頃の話しも、淡々と話すのやよい姉さん。まるでその話のすべてが他人事のように。
「嫌なこととか、大変だったことって、一晩寝てしまうと忘れてしまうんです。それに私は芸者ですから、“芸事”が大切なんです。踊りも小唄も楽しいんですよ、お稽古そのものも好きだし。2年に1度、有名な大きな舞台で私たちの芸を披露する機会があるのですが、もうその舞台のときは本当に嬉しいし、幸せですね」。
思い入れが強いばかりが執着ではないし、淡々とふわふわしていても情熱がないわけではないだろう。人はそれぞれ表現の仕方や伝え方に違いがあるが、ともするとやよい姉さんのような人は誤解されがちである。が、しかしこのポジティブな考え方と自分の中に“大切なもの”を明確に掴んでいれば、こんなにも静かに軽やかに、自分の生き方を貫けるものなのだろうか。
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