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Chapter 3 独立して変わったこと
渋谷に『バトー・ラヴォワール』をオープンしてから3年後、村瀬さんは、宮城県の石巻にサロンをオープンする。名前はやはり『バトー・ラヴォワール』。ただし、石巻のサロンは村瀬さん一人ではない。鏡は4面、他の美容師もいればアシスタントもいる。
お客さんと1対1の空間をあえて造った人が、何故またそのようなサロンを開いたのか。
「自分の“美容”に対する考え方、やり方を他の人にも伝えたいって思ったんです」という。
「独立前、美容業界っていうものをあらためて振り返ってみた時に、ハードばかり進歩してソフトがついて来てないように思ったんですよね。ヘアスタイルっていうカタチをつくる技術や手法はどんどん進展しているのに、心というか、美容のあり方みたいなものが考えられていなくて置き去りにされているように」。
だから、渋谷の自分の店では、自分なりに美容のあり方を考え、それを実践した。
「まず、お客さんを思いやること、お客さんの心とか健康をいい状態にしようと思いやること。ヘアスタイルという表面的なものだけではなくて、人のもっと本質的な部分まで配慮していくことが美容の仕事には必要だと考えました。僕は、どんなヘアスタイルもその人自身によって映え、生きるものだと思いますから。
具体的には、一つは前に話したように、お客さんの気持ちをつくることを考えてヘアスタイルづくりをしていきました(詳しくは先週のバックナンバーをご覧ください)。それから、健康な髪や頭皮で気持ちよく日々を過ごしてして欲しいので、ヘアケアに取り組みました。お客さん一人ひとりの髪を僕が管理するようなつもりで」。
ヘアケアについては、まず、髪、ひいては身体の健康とは何かということや、髪の毛やメイクに使う薬剤などについて研究をした。そして自分のところで使うパーマ液やカラーリング剤などに気を配ることはもちろん、お客さん一人ひとりと、髪の状態、ヘアケア用品、水、食生活や睡眠のことなどを話して、その人が日常で気をつけられそうなことをアドバイスしていった。
「渋谷をオープンして1年を過ぎた頃、自分がそこでやってきたやり方が結構いいんじゃないかと思ったんです。お客さんたちがいい状態になってきている感じもあって。もう、目新しいカタチを何でもみんなが喜ぶ時代はではないし、多分これから、こういう“美容”が求められる時代が来るだろうなって感じがしたんです。
その時に人を育てたいなって思ったんです。これを誰かに伝えていかなきゃと。自分一人でやっているだけでは、このやり方は広がらない。自分が自分のペースで仕事することだけを大事にするよりも、美容業界全体がいい方向に変わることを考えるべきだなと思った」。
かくして、石巻『バトー・ラヴォワール』はオープンすることになった。店の形態は異なるものの、そこに集まる人たちにとって“力”を養う場所であって欲しいというコンセプトは同じだ。オープン以来、村瀬さんは東京と宮城を行ったり、来たりの日々を送っている。
「当初、東京で、とも考えていたんです。でも、僕の奥さんの実家が宮城の方で、石巻に『ビブレ』ができるという情報が入ってきた。ファッションビルができるなら、町も変わって行く時でおもしろそうだし、食べ物とか水とか暮らしとか、東京と違うところでは髪の毛はどう違うのかという興味もあったんですよ。髪の違いは実際に仕事をして触れてみなければわからないですからね」。
石巻オープンのその後、今度は東京の『バトー・ラヴォワール』が渋谷から代官山へと移転した。
「渋谷は住宅街の入り口にある静かな隠れ家みたいな場所だった。それをもう少し賑やかな環境にしたんです」。
店内の雰囲気も変わった。渋谷では木の床にインテリアは青や緑を基調にしていた。代官山は白い明るい空間、赤やオレンジのインテリアがポイント的に配されている。
「どちらもリラックスできる居心地のいい空間を目指したのは同じ。ただ、渋谷は“癒し”、静かにじっくり自分をみつめるみたいなことがテーマで、代官山は“エネルギー”、元気の出る場所みたいなことがテーマ。“充電”と“放電”という感じかな。渋谷にいる間、お客さん、そして僕もしっかり心を充電して、何か力強いものなっていったんですよ、空間に満ちている空気が。で、じゃあ今度は放電しようと思った。ここまで自分のことを充実させることができたんだから、今度はもっと外に働きかけていこう、自分のことだけじゃなく外側のことを考えていこうと。それで場所もあらためて、前に向かっていくような元気が出る雰囲気をつくったんです」。
渋谷には5年いた。代官山に移ったのは今から3年ほど前のことだ。
「多分、渋谷を始めた頃の僕は、まだ枠の狭い人間だったように思うんですね。例えば、自分の仕事のあり方は考えていたかもしれないけど、美容業界全体のことはまだ考えていなかったと思うし、東京をほとんど出たことがなかったから、地域社会のことなんて考えていなかったし、一人で仕事していましたから、自分が雇うスタッフの人生みたいなものも考えたことはなかったし。自分と自分が向かい合っているお客さんのことだけ考えていれば済んでいたような。でも、僕も少し成長したんですよね。それだけじゃないだろうって感じるようになっていたんです、その頃には」。
――次週Chapter 4へ続く
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