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Chapter1 美容師としてのあり方
「こんにちわぁ」。ドアが開いて村瀬さんが中へ迎え入れてくれた。代官山のマンションの一室に造られた美容室。店は完全予約制、働いているのは村瀬さん一人。客の出迎えから見送りまですべて自分でこなし、ゆっくりと会話をしながらヘアスタイルやメイクをつくり上げていく。
東京生まれの37歳。美容師には初めから熱望してなったのではないという。10代の頃はいわゆる族(ゾク)。単位が取れずに高校を中退した。
「その時に父の実家の理容店を継ぐという話が出た。で、美容学校に入って、この業界に流れたわけです」。
しかし、美容学校を卒業し、2年間の修業時代を過ごした店で、村瀬さんの中で変化が起こる。
日曜定休だからと選んだその店は、外苑前のマンションの一室にある美容室だった。技術者は先生のみ。2人の先輩アシスタントがいた。
「そこでは仕事ができない人間はモノ扱いという感じで。先生と他の2人には対話があるけど、僕は先生に口をきいてもらえないという状況だったんです、当初」。
どうしようもなく悔しくて、早く仕事ができるようになりたかったという。必死で技術を磨き、美容師という仕事にのめり込んでいった。
当時、青山の骨董通りにあった『シャンプーハウス』で技術者デビューをしてからも、仕事の傍ら萩原崇カッティングスクールに通って講師の資格を取るなどしていた。なにしろ多くを吸収して、腕を上げたかった。
24歳の時、村瀬さんはシャンプーハウスを辞めて台湾へ行く。ヘアショーで知り合った人物が向こうでサロンと技術指導をやると言うので、それを手伝いに行ったのだ。この経験の中で村瀬さんは、とても大切なことを教わったという。
「向こうで仕事をするうちに、僕は日本語で相手は北京語、でも気持ちさえあれば何を言いたいか伝わるということを体感したんですね。で、“気持ち”を持つことの大切さというのを、あらためて知らされたのです。そもそも伝えるべき自分の中の思いが存在しなければ、言葉という思いを表現するカタチだけがあっても意味がないと。そしたら、それまで美容師としてやってきた仕事には“気持ち”がなかったように思えて。技術はいろいろ身に付けてきたけど、何だか自分は髪型、うわべのカタチをつくることばかりしていたんじゃないかって」。
そう気付いたら、日本に帰ってもう一度やり直したくなった。1年の滞在予定を半年で切り上げ、日本に戻った村瀬さんは、青山の『CLIP(クリップ)』に入る。
『CLIP』では3年ほどを過ごした。その後、友人の店を手伝いながらの準備期間を経て、村瀬さんは自分の店をオープンさせる。渋谷の住宅街にあるマンションの一室に、鏡一面だけ、美容師一人だけの美容室を。
修業時代を過ごした店と同じようなスタイルの店だ。なぜ、そうしたのかを訊いてみた。
「自分らしく仕事をする空間がつくりたかった。僕が最初に入ったお店では、結局ヘアスタイルじゃなくてライフスタイルだったんですよ。先生とお客さんの心の距離が近いんですね。だから、その人の価値観とか生活観を感じて、それにふさわしいヘアスタイルを提供できる」。
自分も美容師として、そんな仕事のあり方を望んだ。
「たとえば『CLIP』というのは、クオリティも美容師たちの意識も高くて、ホントにいい店だったんです。けど、あそこでは僕も当時すごい数のお客さんを抱えながら仕事をしていたんですよ。で、あー、あと5分コミュニケーションできれば…と思うこともあったり。それからどんなにレベルは高くても、あそこの仕事はやっぱり、ヘアスタイルをつくっているのですね」。
時代や流行に合わせてヘアスタイルを打ち出して提供する、サロンというもの自体に対しての疑問もあった。
「極端に言えば、『CLIP』のような雑誌などでも取り上げられる話題性のあるサロンでは、そのサロンのつくり出すスタイルを、ポンポン頭の上に乗っけていくだけでもお客さんは満足しちゃう。何でって言ったらお客さんもそれを買いに来ているから。もしかしたら、そこはサロンじゃなくショップとも言えるかもしれない」。
――次週Chapter2へ続く
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